人は忘れる生き物です。
死の恐怖さえ時間がたつと忘れてしまいます。
命の炎が一瞬消えた、あの時の事を忘れない為に。
小山英雄の心筋梗塞体験レポート
死ぬなんてまだ何十年も先だと思っていたのに、
その日は突然やって来た!の巻
2020年4月9日(木)am3時起床、いつもと変わらない朝。
でも、ちょっと違っていたのは、胸の奥に少し痛みがあった事です。
一番痛い時のレベルが10だとすると、2~3くらいの痛みです。
以前もレベル1程度の痛みがあり、しばらくたつと消えていたので、今回も同じ様に考えておりました。
1階の仕事場に行き、品物を車に積み込み配達を開始しました。
しかし、5分10分たっても胸の痛みは消えません。それどころかだんだんと大きくなります。
暑いのか寒いのかさえ分からなくなり、着ていたジャンバーを脱ぎました。
30分くらいたった頃でしょうか、胸の痛みレベルは7~8に達し、息苦しさと大量のあぶら汗が止まりません。
この時初めて、"自分の中で大変な事が起こっている"と気が付きました。
残りの配達の事も一瞬頭をよぎったのですが、今はそれどころではありません。
急いで店に戻り、インターホンを連打して、2階から下りてきた妻に、「救急車呼んで!オレなんか変だ!やばいかも!」と震える声で言いました。
やたらと喉が渇きます。コップで水を何杯飲んでも、喉はカラカラです。
妻も事の重大さを察知して慌ただしく動いています。
取りあえずトイレを済ませ待機します。
そうこうしている間に救急車が到着しました。
到着までは数分だったと思うのですが、遠くからサイレンの音が近付いて来た時は、ホッとするのと同時に、「早く、もっと早く」と心の中で祈っていました。
救急車に乗ったら、すぐ病院に行くと思っていたら違いました。
問診をしたり、受け入れ病院を探したりと、なかなか動きません。
程なくして、受け入れが日医大多摩永山病院に決まり、救急車はようやく動き出しました。
この時、これが心筋梗塞だと、私はまだ知りません。
病院に担ぎ込まれた直後の事は、薄っすら覚えています。
慌ただしい人の動きと声、薄れゆく意識の中でズボンとパンツを脱がされ、
「シャツ切るからハサミ!」と誰かの声が聞こえました。
それから間もなくして、心臓が止まった様です。
・・・・・
少し眠っていた様な感覚でした。
「あっ なんだ? 寒っ、」、誰かが私の口の中に、何かを突っ込んでいます。
自分の戻した物で頬から首の辺りが冷たいです。
それらを薄い意識の中で感じていました。
心臓が止まっていたなんて、まったく気が付きませんでした。
急性心筋梗塞だと知らされ、緊急手術が始まります。
「小山さん、今からお小水の管入れますよ」と声がした途端、尿道にズズズと衝撃が走ります。
間髪入れずにバリカンの音がして、邪魔者を退治して行きます。
次は足の付け根に、チクリと局所麻酔をして準備完了。
そしていよいよ、カテーテルが私の冠動脈目指して走り出しました。
先生たちの声が聞こえます。ピコピコと機械音が鳴り響き、何か音楽が流れています。
しばらくして、「血栓吸引!」の声が聞こえた時はホッとしました。
そして病室に移る際、ずっと待っていてくれた妻に会えて安心いたしました。
カテーテルを足の付け根から入れたので、6時間は絶対安静です。
おしっこチューブを付け、紙パンツの私はベッドの上で考えました。「あぁ、どうしよう、
DAIがしたくなったら、」と。
幸か不幸か紙パンツで過ごした2日間は大丈夫だったのですが、それでも看護師さんは笑顔で、あちこちを拭いてくれます。
何千回何万回と経験を積んでいる看護師さんは、何を見てもまったく動じません、看護のプロなんです、とても優しいんです。
最初の緊急手術の時、「もう1カ所、90%詰まっている所があるから、入院中に治療しましょう。」と言われていたので、入院6日目に手術をしました。今度は左手首からカテーテルを入れます。
ですが、肘の血管が細くて断念します。私は思いました、「やばい、もし右手もダメなら、また足か」と、
ここに来て、また6時間の絶対安静は避けたい所です。
そんな思いの中、右手首からカテーテルが滑り込みます。OK! 成功です。
死に至る事も決して少なく無く、助かっても後遺症が残る人もいる中、幸運にもすべてスピーディーに対処出来たため、後遺症も無く9日間で退院する事が出来ました。
これも、救急隊員の皆さん、病院の皆さんのお陰だと思い感謝しております。
本当にありがとうございました。
最後に
まさか自分が、心筋梗塞になるなんて思ってもいませんでした。
今回の事で、平凡な日々の尊さ、地域医療のありがたさを感じ、残された人生の後半50年を健康第一で歩んで行きたいと思いました。
皆さんもどうか、健康には気を付けてお過ごしください。
小山 英雄